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「駆込み訴え」

2011.08.03 Wednesday | by はつか
 太宰治の「駆込み訴え」。

イエスキリストとその弟子イスカリオテのユダの想い。
信仰とは別の、無償の愛。(これは無償の愛であったのだろうか? いわゆる無償の愛というほど美しいものではなく、もっと利己的で性質が悪く、醜い愛だったのではないかと思った。)
神だとか天国だとか信仰などというものではなく、
ただ美しいキリストを愛していたユダの
狂信的な愛と、それゆえの憎しみと、愛ゆえに
キリストが醜態を晒すように商人に罵声を浴びせたり
恐ろしい終末を予言し、自分に添わない人間を愚かだと公言する姿に耐えられず、
祭司長に居場所を密告し売ったユダの、その時の言葉で書かれた短編小説。

ユダがまるで自分のように思えた。
美しいからそばにいたい。見ていたい。助けになりたい。
それだけでいい。感謝なんかいらない。
愛されなくていい。相手にされなくていい。
そんな風に思って尽くしているのに、蔑まれて、心の底から嫌われて
どうして自分はこの人に愛されないのか、
どうしてこの人はこんなに愛されているのに
自分は誰にも愛されないのか。
私の言葉はどうしてあなたを逆撫でするのか。
何も考えてないような連中にあなたは心を開くのに
昼も夜もあなたの事を想って、考えて、苦心してる私には
そんなにも暗い、悲しい目でしか応えてくれないのか。
自分の醜さを見せ付けられるようだった。

同時にいくつもの嫉妬を抱えて自分が何に嫉妬しているのかもわからなくなって
キリストに奉仕する女が憎いのか、
その女に特別な愛情を抱いてしまったように見えたキリストが憎いのか
勢いに任せて心情を吐露していると核心に近付いてしまう。
それは二人とも自分には振り向いてくれない存在だった。
二人とも大好きだった。でも大嫌いになった。
そんな簡単な理由も認めたくないあまりに
キリストに注いだその高価な香油を売ったら
貧しい人を何人助けられるか、どうして考えが及ばないのか、などと
自分がさも論理的で正しいかのように、
二人の事など何とも思ってないかのようにするしかできないでいた。
でも、それすらもキリストには賎しまれて。
それはまるで存在を否定されたのと同じだったのだろうと思う。

もしもキリストが自分のものになってくれていたら
ユダが挙げ連ねた他のどんな愚行も、落ちぶれも、思い上がりも
何も気にならなかったのだろう。
それに尽きるのだ。


ユダがどれだけキリストの為を思い、考えを巡らせても
結局何も見えていなかった。
キリストが弟子や人々の事を思っている時も
ユダには自分とキリストしか見えていなかった。
それがキリストにはどうしようもなく愚かしく思えて
嫌悪していたのかもしれない。


キリストはユダが不機嫌な顔をしていた為に
きっと見るに耐えなくなって、声をかけたのだろう。
海辺で散歩しているとユダにこう言う。
「おまえにも、お世話になるね。おまえの寂しさは、わかっている。けれども、そんなにいつも不機嫌な顔をしていては、いけない。寂しいときに、寂しそうな面容をするのは、それは偽善者のすることなのだ。寂しさを人にわかって貰おうとして、ことさらに顔色を変えて見せているだけなのだ。まことに神を信じているならば、おまえは、寂しい時でも素知らぬ振りして顔を綺麗に洗い、頭にあぶらを塗り、微笑んでいなさるがよい。わからないかね。寂しさを、人にわかって貰わなくても、どこか眼に見えないところにいるお前の誠の父だけが、わかっていて下さったなら、それでよいではないか。そうではないかね。寂しさは、誰にだって在るのだよ」

「私はそれを聞いてなぜだか声出して泣きたくなり、いいえ、私は天の父にわかって戴かなくても、また世間の者に知られなくても、ただ、あなたお一人さえ、おわかりになっていて下さったら、それでもう、よいのです。私はあなたを愛しています。」
ここで涙が出てしまった。
大好きな人が一人わかってくれたらそれだけで生きていられる。
それだけで幸福なのだ。

でもきっとキリストは彼の寂しさをわかってくれたのではないだろう。
ユダの人格や感情を受け入れたのではなくて
ただ行動を変えて欲しくてそう言ったのだ。
そこがまた寂しい。悲しい。
ユダはこんなに、この一言に救われているのに
キリストは何とも思ってないに違いない。


家も家族も土地も捨ててキリストの弟子になった自分は尊いと思っていたのだろう。
これだけの物を捨てて私はあなたに尽くしてるのに
あなたは私に何も与えてくれないと拗ねている姿が
たまらなく醜くて、他の弟子を見下してる思考がたまらなく卑しくて
それは本当に私によく似ていて、吐きそうになった。


ユダは密告の終わりに、銀貨三十枚を報酬として渡されそうになると
そんなもののためにキリストを殺させるわけじゃない、
自分の愛の為にキリストを引き渡すのだと一瞬激昂する。
次の瞬間、「ああ、あの男は銀三十枚の値打ちの男になった。
私がその程度の価値にまで貶めてやった。」
そんな征服感を抱き、笑いながら銀貨を受け取る。

悲しい物語。
どうしようもなく、虚しく思える。
それは私がユダと同じ側の人間だからだ。
自分の卑しさと結末を思い知らされるようで
耐え難い。

読んでいる最中はむしろ謎の高揚感があった。
ユダの感情的な物言い、愚かしさ、キリストへの利己的な愛も
艶かしく、美しいと思えた。
今はただユダがキリストを心から愛していたのにもかかわらず
つまらない嫉妬と憎悪で殺す事を決めて、どんどん嫌いになって、嫌われて
死に追いやったことを、私も同じように遂行するのではないかと
そんな恐ろしくも、既に気配を匂わせている自分に嫌悪するしかできない。

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